海外作家紹介 Pola Zakim

今回で、3人目の海外作家紹介です。

Paola Zakimi(ポーラ ザキミ?)は、名前の語感から、なんとなく東欧の作家と思っていたのですが、今回このブログを書くにあたって、本人のサイトのプロフィールを確認したところ、アルゼンチンはパタゴニアの生まれで、現在はコルドバに在住だそうです。

以前紹介した、ファンタニマの今年展示された作家の中に、アルゼンチンの方(本人が会場に来ていた。)が一人いましたが、なるほど共通点があるな、と思った次第です。

さて、Zakimiですが、イラストと人形を制作しています。この方の作風に似た人で、misssophie7(今回この人のサイトも検索したのですが、なくなっています。情報も激減しており、一体どうしたのでしょうか。確かタイの作家でしたが。)がいますが、最初はこの二人を混同していて、あれ、名前が変わった、と勘違いするくらい同一人物と思っていました。

しかし、じっくり観察すると、Zakimiの作品は、少しダークな作品もあるのですが、なんとも少女達の表情が愛らしく、癒されます。

Etsyでは、かなりの人気作家のようです。

メルヘンなイラストは、わりと平凡なのですが、人形になると、がぜん個性を発揮し、なんとも愛(いと)おしいのです。

特に、眼が手書きなのがいい。ささっと描いているようなのですが、とても生き生きとして、引き込まれます。

この手のタイプの人形は流行らないのか、日本では作る人もとても少ないのですが、もし、この人が日本人作家なら、僕は、この人の作品を間違いなく、買っています。日本でも、人気作家になり、亜流の作家も出てきそうに思うのですが、どうでしょう。

この人の作品を、Etsyで、アルゼンチンから取り寄せたい、と思っていましたが中々勇気が出なくて、今日まで買えないでいました。

今回、この文章を書くにあたって、1年振りにEtsyZakimiのページをチェックしたら、281点ある作品のすべてが、イラストになっていました!

misssophie7(未だに、Pinterestでは、この人の作品をピン止めする人が多いのですが。)も情報が激減しており、ふと、Zakimiも人形を作るのを止めてしまったのだろうか、と思うと、切なくなりました。

僕個人は、絶対この方達の作風が好きなのですが、有り難いことに、Zakimiの個人サイトでは、しっかりと人形の新作を制作しているようなので、ネット販売を止めただけ、と思うことにしました。

 

ちょっと一安心です・・・。

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彩のある人生

i-ppoたおか 田岡正臣 経堂 ネコ 東京 陶芸
漆絵の皿

大抵の場合、仕事一筋のサラリーマン人生が世間的にも否定されるのは、その仕事が組織仕様、会社仕様に合わせたところにあり、自分の本当にやりたい事と一致しているのが稀であるからでしょう。

その証拠に、芸術家やアスリート、学者、科学者などは、仕事一筋の人生が非難されるどころか、称賛の対象になっています。組織や世間仕様の成長戦略に自分を合わせる必要などないのですから。

では、芸術家やアスリート、学者、科学者なら、仕事一筋の人生でいいのか、というと、もし自分ならと考えれば、そうは思いません。

ここからは、かなり独断と偏見で書きますが、人生の楽しみ、喜び、奥行き、満足感を味わうためは、たったひとつのことに集中するには、勿体ないのではないか。

ひとつのことに集中した人生を送ると、最終ゴールが100ならば、80辺りまでいくと、エネルギー効率がとても悪くなるのではないか、と思うのです。

この辺りを突破して、初めてそのジャンルで選ばれた一流、巨匠になると思うのですが、この道一筋の人の、楽しみ、楽しさ、奥行き、満足の総量は、色々楽しむ人より、少ないと思うのです。80を超えた辺りから少し先を進むのに、膨大なエネルギーを消費するのではないか。

それこそ、この世は千差万別な楽しみ、喜び、ワクワクで溢れています。特に、どんなことでも、初期段階辺りまでは、大いに楽しめます。

色々なことを経験した人の、喜び、楽しみ、プラスの総量は、(この道一筋の人には失礼ながら)、この道一筋の人の楽しみを、大きく超えるのではないか、と思っています。

自分は、これを「彩(いろどり)のある人生」と思っています。こんなことを直感的に10年前ぐらいから思っていたようで、今現在も、生活の中で、ベクトルの違う様々な楽しみを沢山持っています。 ハンドメイドでも、様々な素材を試したり、新しいことにチャレンジしたりするは、そういう思いがあるからです。

 もちろん、大家・巨匠と呼ばれる人、名人と呼ばれる人、歴史に名を残す人は、この道一筋の人です。

 植村直己のような、この道一筋に突き進む人を尊敬する気持ちは、僕も持ち合わせています。

ただ、自分はこの一筋を極めて頂上を目指すより、出来る限りたくさんの種類のワクワクを経験したい、そういう思いで、物作りに臨んでいます。

 

 

海外作家紹介 Elsa Mora

 8月に紹介した、お気に入りの作家Jess Quinnに引き続き、今回は、キューバ出身、ニューヨーク在住(少し前までロザンゼルス在住でしたが、いつの間にかニューヨークに引っ越していた。)の、Elsa moraを紹介します。

彼女も、陶器、人形、ぬいぐるみ、絵画、切り絵、ジュエリー、デザイン等、幅広く活動しています。

この人は、2009年に、渋谷のギャラリーで作品展も開催されており、Jess Quinnよりは知名度は、あるようですが、日本では、一部の人にしか知られていません(誰に聞いても知らないので、たぶんそうだと思います。)。

当人が、自分のサイトで、マルチメディアアーティストと称しているように、その作品の素材やジャンルは、本当に多岐にわたっています。

 1971年生まれだから、45歳。もっと若いと思っていたので、今回確認してびっくりしました(ネットで出会ってから、ずいぶん経過したということか。)。

切り絵作家として紹介されることが多いようですが、僕が好きなのは、やはり人形をはじめとした立体造形。

もう、愛らしくて、奇妙で、繊細で、たまらない魅力があるのですが、最近はもっぱら、ペーパークラフトに力を注いでいるようで、サイトでも、いわゆる切り絵がメインで紹介されています。

 気になる方は、「Elsa mora 作品」でググってください。

日本の美術コラムなどでも、大抵切り絵アーティストとして紹介されています。

 僕の場合、個性的で、多彩なフィールドを持った作家は、大体好きになる傾向にありますが、切り絵に特化しないで、もっと以前のように、幅広いジャンルで制作してほしいな、と思います。

実は、今回、彼女のネット上にある作品を見直したところ、気づかないうちに、結構影響を受けていることがわかり、驚きました。

何度も見ているうちに、脳内にインプットされていたのでしょう。

Jess Quinnについては、影響を受けていることに気づいていましたが、あまり特定の作家に入れ込むのも考え物だなあ、と思いました。

そういえば、コンベンション、展示会で、テディベアの人気作家のレプリカのような作品を堂々と展示している人も、当人は、あまり意識していないのかも。

 

自分も、重々気を付けていきたい、と思います。

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アート楽市とPACOさん

PACOさんの作品
PACOさんの作品

 昨日15日、三軒茶屋アート楽市に行ってきました。

毎年この時期、「三茶de大道芸」と併せて、2日間(15日、16日)、三軒茶屋駅周辺で行われるハンドメイド市です。

三軒茶屋駅から歩いて5分くらいの烏山川緑道に、100店舗ほどの、ハンドメイドショップが並びます。

毎年出展する好きな作家さんが3名ほどいますので、日程を調べて、必ず出向きます。

陶芸の井上雅典さん、木工のPACOさん、粘土作家の森博敬さん(残念ながら、今年はお会いできなかった。)達です。何故か自分にしては他の展示会に比べて、好きな出展作家に珍しく男性作家が多いことに今気づきました。

 今年も晴天に恵まれ、暑いくらいの日差しでした。

昨年、この青空市を主催する団体に今年の出展希望を出したのですが、定員オーバーで断られたのですが、来年はなんとかエントリー出来そうです。

基本的に屋根のない青空市にはエントリーするつもりはないのですが、この市だけは、昔から通っていたし、好きな作家さんもいるので、一度は出展してみたいな、と思っていたのです。

 今回は、大好きな木製のブローチを作っているPACOさんを、ご紹介します。

ハンドメイド好きなら、ご存知の方も多いでしょう。

PACOさんは、毎年三軒茶屋アート楽市に出展されているので、ここに来れば確実に会えるのです。

 今回、写真をたくさん撮らせてもらい、ブログに乗せることにも、了解をもらっています。

以前は絵を描かれていたとのことですが、その作風は繊細でロマンチック、絵柄が木の質感になじんでおり、独特の世界観を醸し出しています。ズラッと並んだ作品を見ていると、なんだか、昔どこかで読んだ絵本のような、懐かしさもあります。

 最初観たときは、てっきり若い女性かと思いましたが、僕より年配の男性です。

特に、PACOさんの描く、女性や少女は、直ぐにでも消えてしまいそうな独特の儚さがあり、過去に描かれていた絵を一度観てみたい、と思っています。

 

 小田急線経堂駅の「すずらん通り」にあるギャラリー「芝生」にもPACOさんの作品が常設されています。

 

 

 

 

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あらゆることを楽しむ人

i-ppoたおか 田岡正臣 経堂 東京 テディベア キャンドル
キャンドルベア

僕の友人に物凄いスーパーマンがいます。

僕が主催する水彩画サークルのメンバーなのですが、現役の国家公務員(敢えて名前は伏せます)で、かなり忙しいポストに就いています。水彩画の腕も相当なものです。

たぶん、仕事で毎日ヘトヘトな筈ですが、この人の活動範囲は物凄く広く、抜群の行動力があり、いつも、勇気づけられます。空手の有段者、サックスの奏者(来年ライブハウスで演奏予定!)、絵を描き、マラソンランナーでもあり、カラオケマニアで、いつも何かに凝っていて、マイブームを作っています(最近は知恵の輪とプラモデルか?)。

「〇年生まれ」の人が集まる、同世代サークルにも入り、色々と遊んでもいるようです。しかも、奥さんへのサービス精神も、トップクラス!

たぶん、ボーとすごす時間、無為に過ごす時間は、殆どないでしょう。

僕も、原則観たいTV番組以外観ない(面白そうなものを録画撮りして、その中で、観たいものだけ観る。面白くないと判断した時点でTVを消す。リモコンガチャガチャはしない。)、ネットサーフィンはしない(移動時のスマホのみ)、ごろ寝はしない、と決め、これを10年以上実践していますが、どうもダラダラする時間が多いようです。

1日を振り返って、創作していた時間帯は、はっきりと記憶があるのですが、それ以外、一体何をしていたのだろう、と思うことが多々あります。

彼と過去に同勤していた時、雑談で、「〇〇に行って面白かった。」と言うと、もう週末に奥さんと行き、翌週感想を聞かされたり、「□□を買って、良かった」というと、もう数日後には買っていたり、とにかく、そのレスポンスの良さには、何度も驚かされました。

僕も、実行力、行動力はある方だと自負しているのですが、彼には全く敵いません。

これは想像ですが、彼は、普通の人の数倍人生を楽しんでいるでしょう。

わからないのは、このエネルギーの源泉がどこからくるかです。

僕はハンドメイドや絵画などに関しては、様々な目標・ターゲットがあるので、エネルギーが枯れないのですが、それ以外はエネルギー切れになることが多く、彼の秘密を探っていますが、今のところわかりません。エネルギーが詰まった袋が、僕はひとつなのに、かれは沢山の袋を持っているようです。

 忙しさに追われる時、彼のことを思い浮かべると、この程度のことは、大したことはないな、と思い、救われます。

個人的には、創作以外、音楽も、映画も、読書も、ゲームも、旅行も、その他ありとあらゆることを目一杯楽しみ、その経験が創作につながれば、もっといいな、と思っています。

 

 

 

 

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趣味か?

i-ppoたおか 田岡正臣 経堂 ネコ 東京 陶芸
ねことネズミ

お蔭さまで、物作りを順調に楽しんでいます。

長年勤めていた職場を離れてからは、生活の主要な部分が、創作することと、それに関連することになりました。

何かの折に住所氏名を書かかされるとき、職業欄があるとドキリとします。

何て書こう?

該当する部分に丸をする、と言う場合は、まあ、取り敢えず自由業に丸をしますが、描き込む場合が困ります。大体何も書かない場合が多いでしょうか。

(販売を含めた)創作行為を具体性のある仕事とは思っていないので。

では、趣味かと言えば、趣味とも違う。趣味は、ウクレレを弾くことでしょうか?

カッコつけて言えば、ミッション(Mission)と、勝手に思っています。

 何かを創っている時、「ああ、自分はこれを創るべくして作っているな」と思えるからので。

やらされている感が全くないから。全くの無報酬でも、やるから。やるなと止められてもやるから。

勤め人時代は、仕事に満足感、充実感、やりがいはありましたが、無報酬では絶対やらなかったと思うし、どこかに、ずっとやらされている感があって、仕事とはそういうものだと思っていました。

音楽を聴いたり、映画を観たり、旅行したり、本を読むのも好き(美術鑑賞は、創作活動の一部)ですが、これは道楽と思っています。

 趣味と道楽の違いは、自分なりの解釈ですが、それを通じて自身の成長と発展を感じられるものが趣味、と思っています(個人的には、映画鑑賞でも、映画評を書いたり、自分が鑑賞した映画のデータベースを作るようなところまでいけば趣味かな、と思います。映画鑑賞が趣味の人ごめんなさい。)。

でも、世の中には、きっと、やらされている感が全くなく、こんなことをしてお金を貰えるなんて、なんて有難い、と思いながら、やるべくしてやっていると思える仕事に就いている人もいることでしょう。葉加瀬太郎が、先日テレビで、自分のバイオリンについて、そのようなことを語っていました。

自分の好きなこと、例えば、芸術や演劇、芸能、音楽やスポーツで生計を立てるのは余りに競争率が高く、狭き門で、無謀なことだと思い込んでいたし、自分にそう言い聞かせていました。自分は長い間、仕事とは、社会的な役割を担い、その責任を背負うことで、対価をもらうのだ、と思い込んできました。

でも、今は違います。

役割や責任など二の次にして、好きのど真ん中でなくてもいいから、その周辺でもいいから、好きと思えることに関連することに、ずっと関わっていくことが、より満足度の高い人生を送れるのでは、という思いがあります。周辺まで含めると、その仕事に就ける可能性は、うんと高くなります。

絵が好きなら、学芸員、絵の教師、絵のバイヤー、ギャラリー勤務でもいい。特定のスポーツが好きなら、その道具を作ったりすることでもいい、競技場に関わる仕事に就いてもいい。

 退職してから、時々そんなことを思うようになり、大好きな創作をしていると、ふと全く別の人生もあったかな、と思うことがあります。 

 

 

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ブログはつらいよ

i-ppoたおか 田岡正臣 経堂 東京 カエル
30mmのかえるくん

ブログを始めて、早3ヶ月と少しが経過しました。いやはや、長い道のりでした。

今のところ、無事に続いています。

始めるにあたって、ネットで調べた時、読んでもらいたかったら「毎日書け」と書いてあるサイトが多かったのですが、正直それは無理、2~3日に1回で行こう、と決心して始めました。

書くテーマは、ハンドメイドに関すること、と自ら縛りを入れているため、昨日観た映画の感想とか、一昨日行ったレストランの紹介、最近世の中を騒がしてるニュースに対しての自分なりのコメント等を載せられないので、結構テーマを探すのに苦しい時があります。

でも、この縛りだけはなんとか守りたい、と思っています(無理やり、テーマをハンドメイドに絡める荒業もやっていますけどね。)

ここのところ、4日に1回に落ち着きつつあり、なんとかこのペースを維持していこう、と現時点では、思っています。

他人のブログはあまり見ないのですが、それでも、たまに、友人や知り合いのブログを久しぶりに開いたら、最後に更新したのが、数ヶ月前、最後の方は文章も随分短いという事態に遭遇。なんだか切なくなりますね。

今のところ、自分に対する縛りは、4日に1回ですが、あまりこれにこだわると、11週間程度空くと、やけくそになり、「えーい、もうどうにでもなれ」となって、一緒に、人を切なくするブログになってしまいます。

先に予防線をはっておきますが、1年に一回、8日間ほど海外旅行に行くことがあります。

それと、年数回、ウクレレの発表会があり、その時は、4日に1回のルールは破りそう。

時々、このブログに見に来てくださる、あなた。

どうか、たまたま訪れたとき、2週間くらい空いていても、見捨てないでください。

きっと、復活してみせますので。

えーい、最後にもうひとつ。ハンドメイドの縛りも、最後の最後には、止めるかも。

でも、そうなっても、可能な限り、アートやハンドメイド中心にお伝えしていこう、と思っていますから。

 

けっこう軟弱だな、と今、読み返しても感じますが、途中でブログを放棄してしまうより、余程ましか、と思ってます・・。

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楽しいことを探す

i-ppoたおか 田岡正臣 経堂 東京 陶器
からくり3人組

若いころ、特に10代後半は、退屈すると、「何か面白いこと、楽しいことはないのか」と思い、「楽しいこと」を探そうとしました。

誰か楽しいことを教えてくれないかな、と思っていました。

世の中には、「楽しいこと」があり、自分はまだそれに出会えていないだけ、教わっていないだけ、と思っていました。

この思いは、かなり長期間続き、わりと最近まで人生は楽しんだもの勝ち、だから楽しいことをもっと見つけよう、と思っていました。

僕はパーティのような、「みんなで盛り上がろうぜ」というイベントが苦手で、極力避けてきましたが、ある時、この世で一番楽しいことは、大勢で盛り上がること、という人に出会い、全く話がかみ合わず、「楽しいこと」も各人によって違うのだな、と理解しました。

 また、ある時、職場の部下で、いったい何が楽しいのか、全く理解できない者がいました。

「何が楽しいのか」聞いても、はっきりした回答がない。

そのうち、聞きかたが間違っていたことに気づきました。「何が好きか」と訊けば、「とにかく、一人で、何もしないでのんびりするのが好き」と言います。

 「楽しい」より「楽をする」方が良い、という人がいることに、この時初めて気づきました。

 決定的な気づきは、無趣味と自称する人が、とても楽しそうに生きているのを発見した時です。確かにこの人は無趣味でした。

 でも、この人は、あらゆる時に、あらゆることを、自分流に楽しむことが出来るのです。

 まあ、非常識なところもありましたが、妄想を膨らませ、何でもゲームのように楽しむことができる。たぶん、子供はみんなそんなところがあります。何の遊び道具がなくても、何でも楽しみの種にしてしまう。

 それまで、僕は楽しみには名称があり、決まった楽しみ方、ルール?がある、と漠然と思い込んでいました。

 その人を観察して、ようやく「楽しいこと」があるのではなく、各人の「楽しみ方」があるだけ、と気づいたのです。

 けっこう「趣味」に拘り、お恥ずかしい話ですが、無趣味な人を一段低く観るようなところさえ、ありました。でも、今は無趣味で結構、と思っています。

 「陶芸」や「ハンドメイド」が楽しいのではなく、創りたいものがあって、創りたい方法で作るから楽しい。

 なんだか、言葉遊びのようですが、実感としてそう思っています。

 僕が創作する時に、素材に拘らなくなったのは、その時からです。自分で新しい創作技法を考案するのが一番楽しいのです。

 そう考えるようになって、けっこう楽になりました。

 

 また、今では、楽しいより、楽の方が良くても、それはそれでいいじゃなか、と思っています。

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