オタク気質について

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落花生みたいなクマ

前回、創作する上で、器用不器用は関係ない、と書きましたが、今回は、この傾向はあった方がいい、ということについて書いてみます。

ずばり創作においては、「オタク」傾向があった方がいい、と思います。

以前ネットで拾った記事では、日本人の4割が、自分をオタクと考えている、ということでしたが、これは僕が感じている実態より、ちょっと多すぎるかな、と思います。

個人的偏見では、オタク気質のある方が2割、真正のオタクがさらにその2割、4%位いるかな、と思っています(僕自身はオタク気質の2割に入るかなと、思っています。)。

オタクの特質として、「好きなことに過度に熱中する」という性向があります。

特定のことに過度に熱中するために、世の中の常識や、知っていて当然の知識を欠いてしまう、というデメリットがあるのですが、この過度の集中が創作に向かえば、効果絶大です。

(以前読んだ本に、オタクで自殺する人はいない」ということが書いてありましたが、人生を深く楽しむことでも、オタク気質はあった方が、お得だと思います。)

世間一般では、オタクは、暗い、キモイと、散々な評価ですが、生きていくうえで何を優先するかを考えれば、創作に関しては、オタクであることが、メッリトになるのではないでしょうか。

では、オタク気質はないけれど、創作は好き、という人は、どうすればいいか。

(自分にオタク気質があるかどうかわからない、という方は、たぶんないのだと思います。)

以前にも書きましたが、僕は、作ることが好きで、色々なジャンルの創作系の教室に通った経験があります。

それまでの経験から、創作活動している人の中では、オタクっ気のない人は少数派だ、と思いますが、それでもいることはいます。

全く個人的な意見ですが、オタクっ気のない方は、熱に浮かされないことを逆手にとって、平常心を武器にする、具体的には、冷静に市場・業界を分析し、今までにないアイデアを企画、プランニングし、作品に落とし込んでいくのがいいのかな、と思います。

過度に集中すると、どうしても、周囲の状況が、霞んで見えるので。

 

熱を出すより知恵を出す、ということでしょうか(過度に集中し、かつアイデアも生み出す、というのがベストですが。)。

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不器用について

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嬉しそうなのは、いいことがあったからだよ

僕が、ぬいぐるみ・人形教室をやっていることを周囲にお話しすると、時々、自分もぬいぐるみや人形が大好きだ、という方がいますので、「では一度体験してみませんか」、とワークショップへの参加をお誘いします。

そうすると、判で押したように、「いや不器用ですから」という答えが返ってきます。

「ぬいぐるみや人形が大好き」というのが、社交辞令である可能性もあるのですが、僕が、不器用かどうかは、創作する上で、障害にはならないというと、面白いことに、自分がいかに不器用であるかを、実例を出して力説してくれます。

過去の経験から言うと、ほぼ100%に近い人が、自分が不器用であることを強調します。

実は、今、僕の教室に通って頂いているメンバーの、8割以上の方が、「自分は相当不器用だが、大丈夫でしょうか」と、最初に発言されているのです。

勿論、日本人特有の謙遜が入っていることも承知していますが、どうも、本気でそう思われている方が、多いようです。

僕は、不器用であることが、創作の足枷になることはない、と確信しています。

僕自身も、決して器用な方ではありません(というと、そんな訳ないだろう、と怒る人までいますが。)。

世の中には、並外れて器用な人がいるものですが、その器用さは、創作する上で、メリットにもなりますが、デメリットにもなるのです。

技術的なことは、訓練で上達していきますので、器用さは、あまり関係ないと思います。

「でも自分は、並外れて不器用だから、例外だ。」という人がいることも知っています。

創作において大切なのは、作る対象が好きであること(この場合、ぬいぐるみや人形が好きであること)、作ること自体が好きなこと、この二つだと僕は思っています。

創ることが好きな人は、大体小中高で、何らかの創作体験があります。

遅い方でも、20代前半までには、どこかで創作経験があるのではないか、と思います。

料理が楽しい人や、旅先でワークショップ(陶芸とかアクセサリー作り)に参加したいと思う人は、大丈夫です。

手先が器用な人=創作が好きな人、ではないと思います。

どうか、自分が不器用であると思うことで、やりたいことにブレーキがかかっている方、一歩を踏み出してください。

一歩踏み出したその先に、素晴らしい世界が広がっていますよ。

 

 

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日暮里繊維街

先日の天気の良い日、実に1年ぶりに日暮里の繊維街に行ってきました。

レザークラフトをやっている時も、時々浅草橋の革の問屋街に行きましたが、経験のある方はご承知の通り、問屋巡りは楽しいですよ。

日暮里の繊維問屋街は、日暮里駅の南口から日暮里中央通りを中心に、90店舗以上の繊維問屋が軒を連ねています(三河駅や、鶯谷駅からも行けます。)。駅に近い店に、繊維街の地図が置いてあります。

前回行った時、中国人が目立ちましたが、今回は、随分欧米人が多くなっていました。

普段は、ユザワヤやオカダヤで生地を買いますが、レアなものは、ここにこないと見つかりません。

最近、ブローチなどの材料に使う、マイクロフリース(マイクロボアともいう。)のような、起毛の短いファーの在庫が底をついてきたため、探しに行きました。

ここでは、トマトのような何でも揃っている店もありますが、各店の専門があり、ニットやレース、小物類など、とても器量なレアものが発見できます。

目的を持っていくと、もう、宝探しのように、ワクワクします。

でも、残念ながら、テディベアに使うモヘアは、何故か扱っていないのです。

大体、どの店で何を扱っているかわかっているので、覗く店は、全店舗のうち、4分の1程度ですが、最初に行ったときは、しらみつぶしに全部見て回りました。

敢えて店の名は伏せますが、お気に入りが2店舗あり、今回もその2店舗で買いました。

残念ながら、お目当てのマイクロフリースの良いものは見つけることが出来なかったのですが、それに近いものを購入しました。色々な素材を、かなりの量買い込み、翌々日、様々な色に染めてみました。

それぞれの生地は、かなり安く買うことが出来ましたが、半分は実験的に買ったもので、うまく染まらないもの、結果として、ぬいぐるみの生地に馴染まないものもあるので、今後3割程度は使かえないものが出てくると思いますが、充分ワクワク感を楽しんだことを考えると、勿体ないとは思いません(残念ながら、ユザワヤのように10cm単位では買えません。最低1mからですが、50cmでも売ってくれる店があります。)。

過去のブログにも書いていますが、新しい材料を発見するのが大好きなので、これからも材料探しは、続けていくでしょう。

 

 

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繊細さについて

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のんびり行こうよ

ぬいぐるみや人形を作っていることから、僕は周囲の人たちから、緻密で細かい人、と思われています。

僕のブログを以前から読んでいただいている方は、僕が緻密ではない、細かい人ではない、ことはご存知かと思います。また、付き合いの長い、かつ親しい人の中で、僕が緻密で細かい人だと思っている人は、一人もいないことも明言しておきます。

しかし、正直、緻密で繊細な作品つくりには、ずっと憧れがあります。

以前通っていた陶芸教室「マダン陶房」で、繊細で、緻密な作品つくりをする方がいました。

染織作家が本業なのですが、食器や陶人形作りにも、抜群の繊細さ、緻密さを発揮していました。作品展でも、彼女の作品は僕の目には、群を抜いて素晴らしいものに思えました。

自分にも、あの繊細さや緻密さが備わっていれば、と何度思ったことか。

しかし、心のどこかで、時間さえかければ、自分にもできる、という自負はありました。

ある時、その方の作品つくりの過程をじっくり観察したことがありました。

その時、繊細な手さばきは、その方が呼吸するのと同じくらい当たり前であることに気づきました。テクニカルな技巧は、訓練である程度上達すると思うのですが、繊細な作品つくりというのは、「時間さえかければできると言うものではない」ということが理解できました。乱暴にいってしまえば、繊細さは才能の一種だと思います。

以前、陶人形を宮越先生に習っているとき、「仕上げは丁寧に」と言われていましたが、この「丁寧」と「繊細」は、違います。

丁寧に作ることは、意識すればできます。

繊細な作りは、もう最初の一歩、アプローチや発想から自然と、違うようなのです。

さらに、ご本人には、緻密に、繊細に創ろうという意識もないのです。

今では、憧れつつも、自分の作品の中に繊細さを取り入れることは諦めていますが、繊細さにも、大きなデメリットがあります。

繊細な作品からは、ダイナミズム、エネルギー、力強さを感じることはできないのです。

また、圧倒的な存在感とも無縁ですし、プリミティブな素朴さや、素直さとも無縁です。

では、自分の作品にそう言ったメリットがあるのか、と言われれば、それもないので、なんとも中途半端なところでとどまっているようです。

 

あえて言えば、自分の作品に、童話の世界のような素朴さや素直さが備わればいいな、と思っていますが・・。

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創作と作業

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仲良くしようね

昨年、ある展示会に出展した際、猫専門の雑貨店のオーナーから声をかけられました。

展示作品を見ていただいて、「これとこのタイプを、自分のネコ限定で、私の店で販売しないか」と提案されて、販売価格の4割はマージンで頂きます、という説明でした。

もうひとつの条件が、在庫が少なくなったら、同じタイプを補充する、ということでした。

以前から、委託販売の販路をもっと広げたい、と思っていたので、この話に飛びつきました。また、猫専門の雑貨店に自分の作品が並ぶことにも、憧れがありました。

翌日、メールで、詳しい条件が説明されて、初回納入の期限も記されていたのですが、その後じっくり考えてみると、同じタイプの作品を、沢山作る行為にどれほどの意味があるのか、と思い始めました。

幸い、自分は、作品の売り上げで生活しているわけではないので、「食うために作る」ことはしなくていい(これは傲慢に聞こえると思いますが、幸いにも、そんな有難い境遇にある、ということで、ご理解ください。)。

そうなると、自分の作品が、あの店に並んでいる、ということだけのために、(売れた場合ですが、)る、確かに多少の宣伝効果はあるだろうが、期限のあるあまり楽しくない作業を自分に強いることになる、と思ったのです。

以前、知り合いの方が、ある大規模な展示会に出展した際、●ィズニーランドから、注文を受け、天にも昇る気持ちで承諾したが、デザインとキャラクター、素材も指定され、同じタイプの作品(作品というよりは商品か)を数百個作ることになり、期限に間に合わせるために、自分の創作と睡眠時間を削って、大変な苦労をした、という話を聞いたことがありました。

その方は、もう二度とあんな思いはしたくない、と言っていたのですが、その話も思い出し、数日後にお断りのメールをしました。勿体ない気もしましたが、今でもあの選択は正解だったと思っています(委託販売を中心に活動している方、御免なさい。あくまで、これは僕の独断です。)

それ以降、委託販売は、好きなものを好きに作らせてもらえる、という条件でしか受けないことにしました。

 

お蔭様で、他の作家さんが、雑貨店で委託作品を出展していても、以前なら、どうすれば、ここに並べてもらえるのだろうという思いが強かったのですが、有難いことに、それ以降、あまり気にならなくなりました。

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面倒くさい気持ち

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春だケロ 冬眠している場合じゃないケロ

面倒臭い、と思う気持ちが無くなれば、人生はかなり思い通りに進むだろう、と考えることがあります。

面倒臭い気持ちを抑えて、やろうか、やるまいかと思っていたことを実行した場合、やって良かったと思う確率は、経験上の実感としては、80%以上ですから、トータルで人生が好転していくことは間違いない、と思います。

やらねば、と思うことが、面倒臭い事の大半であり、かつて勤めていた頃のように、仕事として義務化されているものは渋々やりますが、概ね期限ぎりぎりになってしまいます。

それに反して、「やりたい」と思うことは、無理やり時間を作ってでもやる、それこそ隠れてでもやります。

今も、創作上の課題が、沢山あるのですが、積み残しの課題は、「やりたい」という気持ちより、「やらねば」という気持ちが強いようです(例えば、作品のネット販売がその最たるもので、経験上、是非ともやらねば、と思っているのですが、ホームページの改訂、梱包方法、郵送費、入金方法など考えれば考えるほど面倒くさくなります。)。

やらねばならない、という気持ちを出来る限り減らし、「やりたい」という気持ちを醸成することを心掛けるのが良い、とは思っているのですが・・・。

そうはいっても、僕だけではなく、誰もが、やろう(=やらねば)と思うけれど、やりたい気持ちが中々起きないことの方が多いでしょう。その場合、僕には、やらない理由、出来ない理由を探し、見つけてホッとする傾向にあります。

あれこれ考えるうちに、ドンドンやらない理由、今やらなくてもいい理由を見つけています。

本当は面倒くさいだけなのですが。

まずは、本当に大切だと思うなら、優先順位が高いと思うなら、まず、面倒くさい気持ちを払しょくするために、「やりたい」と思う気持ちを作る、それが出来ないなら、つべこべ考えずに、先に体を動かし、まずはどんな小さなことでもいいから、手をつけることだ、と自分に言い聞かせています(が、思うようには体は動きません。)

皆さんは、一体どうしているのでしょうか?

 

 

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