気になる周囲の作品

i-ppoたおか 田岡正臣 経堂 東京 テディベア 陶器
三匹のネコ

イベントやコンベンションに作品を出展すると、どうしても周囲の作品が気になります。

おそらく僕だけではなく、殆どの人がそうでしょう。

特に、自分の作品と同ジャンルの作品は、とても気になってしまう。

この気になる気持ちの中には、「自分の作品より魅力的かどうか」、もっと極端な話、「自分の作品よりランクが上か下か」というのがあり、他人の作品と自分の作品を比較してしまいます。

まあ、情けない話ですが、そんなことを思いたくはないのですが、どうしても周囲と比べてしまう自分がいます。

仮に、なんらかのイベント、コンベンションで、100人の参加者がいたとします。その中で、もし、誰かが一定の基準で、順位をつけると、当たり前の話ですが、トップとビリが生じます。

僕が言いたいのはここから先の話です。

もし、ハッキリと順位が判ったら、自分も含め、大抵の人は、トップに近づくほどに、トップでないことが悔しくなり、少しでもトップに近づこうとする。

この時、下は見えていません。トップクラスが当たり前の前提で考えている。

真ん中辺りだと、せめて相対的に上位(50%以内)でいたい、と思うようになります。この辺りは、上も下も気になる。

下位周辺にいると、せめて最下位集団から抜け出したい、あるいは最下位集団だけは避けたい、と思うようになり、中位より上位は全く見えていません。自分より下がどれだけいるか、が気になる。最下位集団にいると、最下位だけは避けたい、と思うのはないでしょうか。

常に100から0が見えていれば、かなり冷静に物事を判断できるでしょうが、そうなると一層、人との比較ばかりするようになるかもしれません。

幸い、アートやハンドメイドの作品に順位をつけることはできないし、作品を数値化・点数化することもできませんので、結局自分の中の価値基準で、自分の中の最高を目指せばいい、という結論に達します。

「一人一人、目指しているものが違う」「みんな違ってみんないい」と思えるようになれば、人の作品は気にならなくなるのでは、と思うのですが、なかなか難しいですね。

でも、アスリートを代表とする、はっきりと順位をつけることができるジャンルの中に目指すものがある人は、本当に残酷で厳しい世界にいるな、と思います。

ところが、勘違いすることなく、自分の実力を冷静に判断できる、というメリットもあり、果たしてどちらがいいでしょうか。

 

他の人の、物凄くユニークで(ややイタほどに)、尖がった作品を見ると、時には大いなる勘違いも必要かな、と思ったりもします。