達成感と充実感

i-ppoたおか 田岡正臣 下高井戸 東京 テディベア 杉並
ちょっと怒ってます?

展示会などで、作品を観て頂いたお客さんに言われて最も嬉しいのは、「見ているだけで楽しくなる」といわれることですが、それと同じくらい嬉しいのが「作っていて楽しいでしょう」といわれることです。

よく、仕事の達成感が、やり甲斐につながるといわれますが、個人的には、この達成感という言葉、かなり胡散臭いと思っています。

長い間、勤め人として仕事をしてきましたが、常に節目、節目の達成感はありました。

でも、残念ながら、今この瞬間、瞬間に満足している、という充足感、充実感は、今より少なかったように思います。

面白いことに、どんなに嫌な事、イヤイヤやったことでも、完成したり、終了したりした時点で達成感があります。

懲罰や拷問として、掘った穴をまた埋める、という行為を繰り返しやらせる、というのがありますが、穴を掘るだけなら、この穴は、きっと何かの役に立つ、と思えれば、埋め終わった後には達成感があると思います。

そんな視点でみれば、「やり甲斐」という言葉は、僕にとって、かなり胡散臭いもので、誰かに強制された面白いと感じない仕事でも、普通に、達成感=やり甲斐は感じるからです。

冒頭に書きましたが、僕は創作している間は、生みの苦しみもありますが、大抵は、楽しんで作っていますので、その瞬間の充足感・満足度はとても高いと思っています。

食事に例えれば、充実感なら、一口ごとに味わって食べること、達成感なら、食べ終わってから、「ああ美味しいものが食べられた」ということだと思うのですが、この差は、ものすごく大きいと思いませんか。

食べた物自体のおいしさに違いはありませんが、その行為(この例えの場合、食べるという行為)自体に喜びを感じてるいかどうかで、時間の密度は相当変わってきます。

人から依頼を受け、一定のテーマに沿って作る行為も、面白いことは面白いのですが、自分で、自主的に、自由に、思いのままに作る行為が一番楽しいのは、作る「行為」事態を楽しんでいるからに違いありません。

すべの作品について、そのように心底楽しんで作っている訳ではありませんが、少なくとも、楽しんで作った作品は、制作し終わった時点で、完結しています。

人からの依頼によるもの、売れることを強く意識して作ったもの、これらは、売れるまでは、完結しないような気がします。