作品の毒について

i-ppoたおか 田岡正臣 下高井戸 東京 テディベア 杉並 鳥
親子でそっくり

ぬいぐるみや、テディベア人形など、自分以外の人の作品を鑑賞する場合、どうしても、少し毒のある作品に惹かれます。

 

正直、どんなに可愛くても、可愛いだけの作品には、強い魅力は感じません。

晴れ渡ったような、爽やかな作品も、気持ちが洗われて、見ていて気持ちがいいものですが、いつまでも見ていたい、家に連れて帰りたい、とは思いません。

どこか陰がある、作者の隠しておきたい暗い部分が、作品の強烈な魅力になっている作家には、憧れがあります。

 

以前、毒のある作品がメインに出展される有名な某イベントの主催者に対して、出展を希望したところ、「あなたの作品には毒がない」と言われたことがあります。

実は、陶器作品をメインに作っていた頃は、周囲から毒気のある作品を作ると言われていたのですが、いつの間にか、すっかり毒気が抜けていました。

今、少しずつ毒を注入しようとしているのですが、SNSの「いいね」やDMに翻弄され、行きつ、戻りつ、しています。

 

自分が思うに、癖のある(個性の強い)作品と、毒のある作品は、重なる部分はあるものの、微妙に違うと思っています。

作者の持つ、人間性の裏の部分(弱さ、ずるさ、傲慢、怠惰、孤独などなど)が透けて見えるのが、「毒気」と捉えています。

それをバランスよく、行き過ぎない程度に表現できる人は、作品に深みが出ますが、これ(毒気)を敬遠する人もいるので、多くの人に愛される作品には毒気がない方がいいのです。

 

 

でも、作り手としては、少ない人に、深く愛される方も捨てがたいのです(困ったものですが。)