7月30日と31日の2日間に渡って、東京国際フォーラムで行われた第24回「TEDDY BEAR with Friends CONVENTION」に行ってきました。
いつもは初日に行くのですが、今回は珍しく二日目の31日に行ったところ、初日の異常な混雑はなく、割とゆっくりと鑑賞できました(但し人気作家さんの作品は売り切れていますが。)。
250名ほどの作家が、出展していましたが、以前に比べて、個性的な作家が増えてきたような気がします。
個人的には、普通のスタンダードな、かわいい系ベアには殆ど興味がないので、少し前までは8割以上の作家のブースを素通りしていましたが、今回は3割位の作家のブースに足が止まりました。
今回、眼の周囲をフェルトで処理する方がさらに増えて、かつてのような新鮮味はなくなりました。
皆さんあの手この手で、個性を出す工夫をしていますが、秀逸なアイデアでも部分的なものは、直ぐに真似されるので、あっという間に陳腐化します。
僕は、部分的な工夫より、根っこから既存のスタイルを覆すようなアイデアに惹かれます。
今回、僕が驚いた、2人の作家を紹介します。
まず、「赤坂ゆ木」さん。
写真で見て頂くとお分かりになると思いますが、作品はモヘアで出来ているのですが、極小で、なんとも愛らしいのです。少しゆるい作りで、僕の大好きな癒し系です。
僕がこのブースに辿りついたのは2日目の午前中でしたが、すでに大半が売れていて、のこり僅かでした。残念!
もっと他の作品も見たいな、と思わせる力があります。
今のところ、「赤坂ゆ木」さんにアクセスできるサイト、ブログ、SNS等は、ないとのことです。
もうお一方は、「たなのうえのともだち」。
この方は、ドールワールドフェスタにも出展されていましたが、いわゆる通常のテディベアではなく、ミニチュアドールのジャンルでしょうか。
写真ではわかりにくいのですが、8~10cm位の大きさで、顔は石粉粘土、木粉粘土で作成されており、マットな感じで仕上がっています。体は羊毛フェルトで出来ており、頭手足がジョイントで、動きます。とても精巧で細部まで気を配って作られています。小物類にも細やかな愛情が注がれており、つい家に連れて帰りたくなります。
「たなのうえのともだち」へのアクセス
tanaue272.Blog90.fc2.com
お二人とも、なんと初めての出展で、FANもついていないのに、相当売れているようでした。やはり、インパクトのある作品は、違いますね。
自分の作品キャラとして比較した場合、犬とネコどっちが好き、と何度か聞かれたことがあります。
これは、もう即答でネコです。
過去に作った割合は、8対1くらいで、ネコの圧勝になると思います。
たぶん全動物キャラの中でも、最も沢山創っているキャラです。
生きた動物として犬とネコを比べた場合、自分の気持ちの中では、僅差でネコか、というくらい差がないのに、何故これほど差がつくのでしょうか。
日本人は犬派とネコ派を比べた場合、犬派の方が多いのは、皆さまご存知の通り。
でも、作り手からすれば、自分だけが例外ではなく、ネコの方が多いはずです(8対1ほどの差はつきませんが。)
絵画やハンドメイドの題材として犬を用いる人は少数派なのです。
これには諸説あるようですが、犬派にお叱りを受ける覚悟で、僕が個人的に思うことを書きます。
まず、ネコの方が自分の感情を投入しやすい。
犬は、なんというか、感情にメリハリがない。スカッと明るいのですが、性格に陰影がないし、ミステリアスな部分もないので、表現の幅が狭いと思います。
次に犬種によって、姿形が全く異なる(チワワとセントバーナードが、同じ犬なんて!)ので、いちいち犬種独自の特徴をチェックする必要がある。これが面倒で、かつ個人的には面白くないのです。
しかも、犬好きの人は、その犬種の特徴が違っていると、けっこう指摘します。
その点、ネコ派の人はおおらかで、ネコの品種ごとの違いはあまり拘っていない。
作り手としては、品種の違いよりは、犬ネコの感情を表現したいので、どうしてもネコを創る方が良いのです。
品種を超えた猫は許されても、品種を超えた犬は許されない、というのが、作品を観る側にあるようなのです。どうやら、犬派の人は、自分の好きな犬種に拘りが強い?
最近は、ネコブームで、ネコを冠とした展示会や作品展があちこちで開催され、人を集めているようですが、正直なところ「ブームよ、早く去れ」、という気持ちです。
わがままな意見ですが、以前からネコを中心に作成していた人と、にわかにネコを創り出した人を同じフィールドで展示するのは、なんとなく嫌だな、という思いがあります。
一昨年、昨年とハシビロコウのブームで、全く見向きもされていなかった鳥が、色々な人によって作られましたが、今年当たりは少し減っています。
ネコは、ブームを超えたところにいるキャラクターですが、それでも創るからには、淡々と創り続けて欲しいな、と思います(まあ、作り手の勝手であることは承知していますが。)。
僕は、ネコキャラに惚れ込んでいますので、これからもずっと作り続けていきたいと思います。
このブログは、ハンドメイド作家及びその予備軍、ハンドメイドが大好きな人に向けて書いていますが、今回は、現在創っている人に向けてのメッセージがあります。
個人的には、毎日数時間でも、好きな創作活動に情熱を傾け、時折、作品販売の場が持てる人は、とても恵まれているな、と思っています。
もう、本人がどう思おうと、それだけでかなり幸せ者ではないか、とひそかに考えています。
世の大半の男性は、持てるエネルギーの大半を仕事に持っていかれ、自由時間は、家族団らんか、ストレス発散(居酒屋、ごろ寝、TV鑑賞等々)に充てられています。
女性も仕事に忙しい人、家事・子育てで、手一杯の人が多数派でしょう。
その中で、仕事や家事以外に、心底楽しめる趣味を持つ人は少数派だと思います。
さらに、マズローの発展五段階説を持ち出すまでもなく、趣味以上の、夢中になれる自己実現の時間を持てる人は、さらに少数派です。
大半の人は、自己実現しようにも、何をやっていいかわからない、というのが実態です。
(仕事の中味によっては、仕事が自己実現、という人もいるでしょうが、組織の歯車として働く場合、組織に洗脳されて、自己実現と思わされている人が大半、というのが僕の個人的な意見です。)
さて、我が身を振り返れば、37年間の勤め人時代のうち、自己実現の時間が持てたのは、最後の10年弱です。
それでも、周囲を見渡せば、同世代の男性の中では、極めて異例のことなのです。
アルバイトが認められない職場でしたので、展示会に出品する作品に値段をつけることは出来ませんでしたが・・・。
退職した昨年末から、やっとのことで、「好きな創作活動に情熱を傾け、時折、作品販売の場が持てる人」となれました。
それなのに、僕からみれば、とんでもなく、ずっと恵まれてきた人が、時折、我が身の不遇を嘆いているのです。
曰く、才能がない、思った通りの作品が出来ない、注目されない、もっと認めてほしい。
まあ、この手の話は際限がありません。
僕だって、その手の不満は、ないことはない(というか、ある。)。
でも、自分の好きなことがわかっていて、好きなことをする時間とエネルギーがあって、それを発表する場がある、という幸運を思えば、前述した程度の事は、「まっ、いいか」となります(たぶん)。
これを読んでいる作り手のあなたが、もし少しでも足りない部分を嘆いているなら、創る喜びを知っていることを、あるいは、ハンドメイドが大好きであることを、その幸運を思い出して下さいね。
(これも、当然自分自身に言い聞かせています。)
事実、鑑賞したり、購入したり、収集したりする喜びより、創る喜びの方が、遥かに深いのですから。
作品を創るのは楽しいし、展示したものを気に入って買って貰えることを考えれば、作り手にとって、創作する行為ほど有難いことはない、楽しい事はないと思います。
友人や知り合いからも羨ましがれているのですが、大きな問題があります。
「創っている時に十分楽しんでいるから、売れなくてもいいのだ」とうそぶいても、後先を考えずに作り続けていると、気が付くと作品が山のように残ってしまいます。
値段を下げても、売れないものは売れない。安くし過ぎると、先に買ったお客さんに失礼だし、捨てることもままならない。また、安い作家と言う烙印を押されます。
残ったものと同傾向のものは作らないのは良いとして、売れることを意識しすぎて創ると、創る行為が楽しくなくなる、というジレンマに陥ります。
(それでも売れるとは限らないのですから。)
イベントやコンベンションで、ごく僅かですが、展示作品を短時間で売り切ってしまう人気作家がいます。
購入を希望する人に対して、作品数が足りないので、客に、抽選やじゃんけんをしてもらっている人もいます。
例外もあるでしょうが、そういう方は、大体において寡作です。少なくとも作りまくっている感はありません。
作りもひとつひとつが丁寧で、完成度が高い。練りに練って作り込まれている感じがします。
だから、年月を経て、人気作家にもなったのでしょうが。
僕の場合は、「創りたい」という気持ちを優先して、次から次に創るので、けっこうな作品数になってしまい、在庫が貯まってきます。
しかも、アクセサリーなどと比較すると、1点が大きい。
さらに陶器などはワレモノなので、保管にも困ります。
知り合いの陶芸作家は、残ったものは、こっそりチャリティーに出す、と言っていました。
つまり、無償で提供するということですが、廃棄処分よりは遥かに良いと思います。
廃棄処分は、出来ればしたくない。
今後は、自分は寡作な作家になるのだ、とひそかに思っているのですが(ここに書いた時点で、ひそかとは言えないが)はたして、創りたい思いを押さえて、作品数をコントロールできるのかどうか。
絵画の世界に眼を向ければ、ピカソのように、思いに任せて、膨大な作品(一説には、作品数10万点とも言われている。)を世に出した画家もいれば、フェルメールのように生涯に描いた作品が(発見されているもので)たったの36点の画家もいます。
作りたいだけ作って、自然と売れていくのが理想ですが、現実は甘くない。
手元において置けるだけの、巨大な倉庫があれば、それも理想的かな。
あるいは、お金が有り余るほどあれば、私設の展示館を設けて、そこに展示して大勢の人に観てもらう、という手もありますが、そこまでくると、作品を売りたくなるかも。
どなたか、良い知恵があれば、お貸しください・・・・。
陶人形を制作する場合、陶土の選定もさることながら、釉薬に何を使うか、が相当重要なポイントとなります。
僕の場合、赤や紫、スカイブルーなど、鮮やかな発色が必要な場合が多いので、下絵の具に透明釉をかける手法では、ビビッドな色調が再現できません。
そこで、僕は、大抵の場合、アメリカ製のSC釉を使用しています。
鮮やかな赤、透き通るようなブルー、芳醇な紫を表現したければ、SC釉を使うことをお勧めします。
焼成温度は、1013°C~1243°C。
釉薬として使用していますが、下絵の具として使い、透明釉をかけても、しっかりとした色が出ます。 もう、今となっては、釉薬の万能選手として、陶人形制作には手放せません。
但し、使う場合の注意点が二つばかりあります。
他の釉薬も同じことですが、かけた釉の色がそのまま反映しません。
焼成温度によっても、相当異なってきます。SC釉の場合、70色の中から、この色で表現したい、色合いを選びに選んで使うので、微妙な色合いの違いが気になります。
これは、使ううちに次第に、仕上がりが想定できるようになるので、まあ慣れが解決します。
次に、色むらについて。
鮮やかな赤を表現したいときなど、最低でも3回は塗らないと、色むらができます。
表現したい色合いに応じて2~4回に塗り別けますが、これが少し面倒。
ごくまれに、焼成温度が影響しているのか、3回塗ったのに、色むらが出ることもあります(だから、用心して5回位塗ることもあります。)。
まあ、これも慣れが解決するでしょう。
この2点さえクリアできれば、陶人形を制作するのに、こんな便利な釉薬はありません。
なお、現在この釉薬を入手するには、日本の代理店である、(株)ヒューステン(東京都杉並区下井草3-15-8)に行って直接購入するか、ネットで購入(hus-10.Com)するかの2択しかありません。東急ハンズか、世界堂あたりで扱っていると便利なのですが、会社の方にお尋ねしたところ、小売店で買える見込みは、今のところ、なさそうです。
下井草にいけば、SC釉だけでなく、日本ではあまり馴染みがない、不思議な釉薬やツールも揃っていますので、東京近郊の方は、是非一度、下井草まで行くことをお勧めします。
会社の方が、親切丁寧に、詳しく、釉薬やツールの解説をしてくれます。
本当は自分だけのお宝は、そっと秘密にしておきたいもの。
ブログを掲載していく以上、この、自分だけのお宝を、少しずつ、披露していくことにしました。
まず最初は、ネットで見つけた、本当は秘密にしておきたい海外作家のひとり、イギリスのJess Quinn(年齢不詳)。
海外のハンドメイド作家の中では、もう大好きなひとりです。
殆ど情報はないのですが、世界的なハンドメイドマーケットプレイスEtsyに、2008年から作品を掲載しています。
ネットで検索すると、彼女の作品が大量に出てきます。
僕のブログでも、ほんとうは、彼女の作品を沢山掲載して紹介したいのですが、無断で掲載するのはルール違反となるので、1点だけ、彼女の写真と作品の一部が掲載されたものを、(残念ながら無断で)掲載させてもらうことにします(Jessさん、ごめんなさい。)
時々新作が掲載されることを期待して、彼女の名前で検索しています。
興味のある方は、是非ググってください。
最初にこの人を発見して驚いたことは、扱う素材の、とんでもない多様性と、作品のバリエーションの広がり。
それでいて、作品の世界観が、統一されている。器用貧乏になっていない。物凄く研究熱心で、チャレンジ精神が旺盛であることがみてとれます。
ネットで掲載された写真から想像するに、イギリスでも、日本と同じような展示会があるらしく、彼女は「small art」の看板を掲げて、展示しているようです。ネット上の小さな写真を、眼を皿のようにしてみると、作品の多様性がわかります。とても楽しそうな展示で、僕の理想とするところです。
ネットでの掲載状況から、イギリスでも、かなりの人気作家のようなのですが、残念ながら、日本語で検索しても全くヒットしないので、彼女の活動状況など、詳しい事はわからず。
英文のサイトから、3人の子持ちで、ブリストル在住であること位はわかりましたが・・・。
もっと英語がわかれば、英文の複合検索で、色々な情報がとれるかもしれないのに・・・。
イギリスの展示会で、Jess Quinnと遭遇したいなあ、と思ったりします。
どなたか、Jess Quinnについて、情報をお持ちの方、教えてください!
ロシア東欧の人形が好きです。
以前、ロシア作家のマトリョーシカをコレクションしていましたが、マトリョーシカだけでなく、かの地では、様々な人形文化があり、一昨年チェコのプラハにいった時も、一種独特の雰囲気を持つマリオネット人形を見て廻り、日本人の発想ではとても思いつかない人形達を堪能しました。
ネットに掲載されている写真を勝手に掲載する訳にもいかないので、言葉だけの説明になりますが、ダークで、ミステリアスな作品が多く、ネット上の写真で見るだけでも、とても刺激を受けます。
その色彩感覚も、スラブ民族独特の美しさがあり、何故このような独創的な発想ができるのか、不思議でなりません。
なかなか現物にはお目にかかれないのですが、有難いことに、毎年、5月にロシア東欧の作家を紹介する作品展が開催されています。人形好きなら、ご存知の方も多いでしょうが、今年も「FANANIMA2016」という名称で、丸善丸の内店で開催されました。
現物を目の当たりにすると、その形状のユニークさ、素材の不思議さ(どんなにじっくり眺めても、どのような素材を、どんな工程で作ったか、さっぱりわからないものも、数多くあります。)
どうにかして、作品から、創作のヒントを得たいと思うのですが、僕の理解を超えていて、ただただ眺めて、ため息をつくのみです。
HAZEKI OFFICEの羽関代表が尽力され、ロシア東欧に出向いて、地道に現地の作家たちに声をかけてまわり、このFANTANIMAが、2014年から、開催されることになったようです。
本当に羽関代表には感謝です。
今年は美麗なパンフレットが作成され、時々取り出しては眺めています。
甲乙つけがたいのですが、この中でも、あえてお気に入りを挙げれば、微細で愛らしい陶人形作家のDollechkaさん、不思議なテクスチャのTasha Vasilekさんでしょうか(紙粘土という紹介がされていますが、とても紙粘土とは思えない質感です。)。
これを書いていると、もう来年のFANTANIMA2017が待ち遠しくなってきて、今からドキドキ・ワクワクです。
ああ、人形好きでよかった、と思う瞬間です。
ものを創ると、作品に対する他人の評価がとても気になります。
他人の批評なんて関係ない、自分の作りたいものを作りたいように創れば満足だ、という人もいるでしょうが、これは少数派だと思います。
僕は、作品を褒めてもらったり、肯定的な評価を頂くと、とてもモチベーションが上がります。
でも、個展などの場合、友人や知人が来てくれると、厳しい批評はなく、褒めてくれる方が多い(多分僕だけでなく、個展を開催した人すべてに言えることだと思います。)ようです。これはこれで有難いし、嬉しいのですが、褒められっぱなしで、厳しさがないぶん、半信半疑になってしまいます(贅沢な話ですが。)。
厳しい批評が聴きたいときは、親しい友人に、敢えて辛口の批評を頼んでいますが、これが大きなヒントとなることがあるので、意識的に時々お願いしています。
現状で、最も厳しいのは、多数の作家が競合するフェスタやコンベンションへの出展です。
ここに来る人たちは、コンベンションで展示されるジャンルが好きな人達。
自分が観に行く時もそうですが、立ち止まるのは自分が気に入ったブース、良いなと思ったブースだけ。まれに、全ブースをじっくり観る人もいますが、少数派です。たいしたことないな、好きじゃないな、と思ったら、少し観て立ち去ります。
最も厳しい批評は、ちらっと一瞥し、さっと通り過ぎていくこと。
無視される程、厳しい批評はありませんが、すべての人に評価されるなどあり得ないので、一定割合は想定内です。
というか、僕の場合、立ち止まってくれる人のほうが少ないのですが・・・。
2~3人で来て、立ち止まってくれた場合、作り手がその場にいようがいまいが、作品ごとの批評をしてくれますので、これは耳をダンボにして聞いています。
一番嬉しいのは、1人で来て、無言で1点1点じっくりと観てくれる人。
そういった人達の中で、ごくまれに、二度見に来てくれる人がいます。
自分が観に行った場合、後でもう一度観よう、と思うのは、すごく作品の世界観が気に入って、帰りに、もう一度しっかり観察して、場合によっては何か買って帰ろう、目にしっかりと作品を焼き付けて帰ろう、と思う時で、1回のコンベンションで2~3箇所のブースだけです。
それゆえに、さっきじっくり観てくれた人が、また来てくれた時は、とても嬉しく思います。しっかりと話しかけ、どの辺りが気に入ってくれたのかも、聞いてみます。
1日で、二度訪れてくれる、というのが、自分にとっての最大最高の評価であり、間違いなく、次回作のモチベーションにつながります。これは、自分の作品を買ってくれる、くれないに関わらず、です。