僕は、アクセサリーも制作しますが、現在は、主として、動物の人形、ぬいぐるみの制作がメインとなっています。
質感全般についての考えは、以前書かせていただいたので、今回は、特にファー(毛)について、特に思うことを、2回にわたって、書かせていただこうと思います。
今は、陶器や和紙の作品も制作していますが、動物の人形、ぬいぐるみの質感としては、モコモコ、フサフサの毛を持った作品が、最も動物らしく、カワイイのも、間違いのないことで、人気も高いと思います(自分としては、陶器や和紙の質感も大好きなのですが。)。
まず、自分の基本的なスタンスとして、制作にあたっては、様々な素材を用いて、質感を楽しみたい、と思っています。
現在、このモコモコのジャンル?としては、チクチクの羊毛フェルトが、主流といってもいいくらい、作家さんも、すごい勢いで増えています。
僕も、手法は少し違いすが、羊毛シートを使った作品を作っています。
沢山の作家さんが、羊毛フェルトを使って、個性を発揮し、オリジナリティの高い、素晴らしい作品を数多く、発表しています。
(成形の自由度が高い羊毛フェルトでは、技術が上がると、本物と見間違うくらい、リアルに犬や猫を制作する方がいますが、個人的には、好きではありません。職人技として凄いことは認めますが、個性やオリジナリティが感じられません。)
しかし、羊毛フェルトの世界は、素材で個性を発揮するのは、難しいと思います。
それゆえ、インスタで、羊毛フェルト作家さんの作品をぼんやり見ていると、どれもこれも同じに見えてきます。ここが、型崩れしやすいことと併せて、羊毛フェルトの最大の欠点です。
ぬいぐるみや、テディベアの世界は、素材(布、モヘア、アルパカ、ビスコース、シルク、ウール、フェイクファー等々)を選ぶ自由があって、全く存在感の異なる作品を、色々と制作できます。
但し、こちらも大いなる欠点があり、型紙に縛られるため、成形の自由度が、羊毛フェルトに比べ、問題にならないくらい低いのです。
モコモコで、かつ、型紙にも、素材にも縛られない、自由度の高い作品を作れないものか、というのが、ずっと以前からの課題でした。(次回に続く)
先日読んだ本に書いてあったことですが、慣れきったもの、ありきたりのもの、普通のものを、人は観よう、感じようとしないようです。
脳が、効率的に活動できるよう、見ること、感じることを省略するようなのです。
心理学の実験で、被験者に自分が普段つけている腕時計の絵を描いてください、といっても、ほとんどの人が正確には描けないといいます。
毎日、何度でも見ている、腕時計のデザインでさえそうなのです。
しかし、そのようなありふれた日常アイテムも、じっくりと観察すれば、けっしてありきたりではなく、様々な発見があり、喜びがある、といいます。
死を宣告された人が、見慣れた道、風景が違ったものに思え、キラキラ輝いて観える、というのは、残された少ない時間が愛おしく、目の前をじっくりと観察しようとするからではないでしょうか?
花鳥風月を楽しむのは、あらゆるものをじっくりと観察しようとする気持ちが必須でしょうが、絵を描いたり、造形物を制作したりする時も、じっくりと目の前のモチーフを観察するのはとても大切だと思います。
僕は、動物をモチーフにすることが多いのですが、見慣れた動物、たくさん作ってきた動物ほど、要注意です。
初めて製作するモチーフ、特に造形的にユニークな動物、生き物は、自然と細かいところまで、じっくり観察することになるのですが、既存の動物、例えばネコに似ている動物などを制作するとき、頭の中で出来上がった猫のイメージで無意識のうちに制作するので、観ているようで観ていない、ということが実際起こります。
恥ずかしい話ですが、一番よく制作するネコにしても、何十年も思い込みで誤ったイメージを抱いていた部分があり、正確な肉球の形は、つい最近理解したことを白状しておきます(漫画で描かれる省略形の肉球を、現実の肉球と思っていた。)。
キツネにしても、長い間、先端、耳、手足、しっぽがすべて黒いのがスタンダートと思い込んでいましたが、それはむしろ少ない方で、しっぽが白い、あるいは茶色のほうが多い、ということを、つい最近気づきました。現在は、先端が全部黒い方がデザイン的に美しいので、あえて黒くしていますが、他にも、観察不足で、多くの思い違いをしていることでしょう。
見慣れたものほど、しっかりと観察する、ということを習慣にできればいいのですが・・・・。
少し遅くなりましたが、12月3日に行われたネーチャーアニマルワンダーランド(以下NAW)に出展した感想を書いてみます。
毎年、浅草の都立産業貿易センターで開催され、会場の右半分が人型(ひとがた)メインの、「ドール・ワールドリミテッド」、左半分が、動物のぬいぐるみ・人形がメインのNAWになります。
このイベントは、昨年に引き続き、2回目。
みくにビスクドールさんが主宰しており、ビスクドールの出展ももちろん沢山あるのですが、実にバラエティーに富んだ様々な素材、様式の、作品が出展されており、鑑賞する立場とすれば、自分はこの「みくにドールさん」が主宰する年2回(6月に、同じ場所で、ドールワールドフェスティバルが開催されます。)のイベントがFANTANIMAに並んで、最も好きです。
ここ最近の傾向としては、羊毛フェルトの作家が増えているような気がします。
また、テディベア作家も増加傾向にあり、出展料が安いので、こちらに作家さんが流れてきているような気がします。ここにしか出展しない人形作家さんも大勢いて、見る側としては、その作家さんに会える、数少ない機会です。
出展者側に回れば、会場スペースの割に、出展者が少ないからか、出展スペース(特に前後のスペース)に、かなり余裕があります。出展料も安く、初めて出展するのにもってこいのイベントだと思います。
また、個人的な話になりますが、今回のイベントでは、インスタグラムのフォロワーが大勢来てくれました。3週間前にデザインフェスタに出店した時は、1人だけでしたが。
来場者数は、デザフェスの方が、一桁多いのですが、今回のイベントは、来場者のほぼ全員が、人形ぬいぐるみ好きであるため、この結果となったようです。
やはり、それぞれのイベントの傾向と、自分の作品ジャンルをしっかりと見極めた上で、出展イベントを決めるべきだな、と痛感しました。
(色々な傾向のイベントに出展し、経験を積むことも大切とは思いますが。)
僕がメインに制作しているのは、動物の人形とぬいぐるみがメインです。多少ブローチのようなアクセサリーも制作していますが、今のところ、(価格を低く抑えられるので)展示場での人寄せパンダ的な作品です。
この、人形とぬいぐるみには、アンティークというジャンルがあり、少なくとも、50年以上前に作られたものが、このジャンルに入ります。
アンティークの人形ぬいぐるみは、実に独特の魅力にあふれています。
ヨーロッパでは、家具や食器などで、古いものを大切に扱う習慣があり、アンティーク市場が充実しているようですが、人形に関しても、古いものが、価値あるものとして扱われています。
しかし、テディベアやぬいぐるみなどは、子供が長い間抱いて可愛がったため、毛が抜け、目、腕や足が今にも取れそうで、痛々しいものがありますが、それがまた格別な魅力になっています。ヨーロッパなどで世代を超えて可愛がられたぬいぐるみは風格さえあります。
テディベア作家、ぬいぐるみ作家の中には、意図的にアンティーク風に作る方がいますが、意図的に作っても魅力が出るとは、不思議なものです。
以前通っていたテディベア教室で、アンティーク風のテディベアを作る際は、そのクマが持ち主にどういう風に可愛がられて、古ぼけていったかのストーリーを持つのが良い、例えば、頭をたびたび撫でられたクマさんは、あたまの毛が他より抜けているだろう、という話を聞き、成程な、と思ったものです。
以前、1980年代に作られたイギリス製の、中古の革靴を購入した時、その靴を、どんなイギリス人が、どの町を、どんな気持ちで歩いていたのだろう、と思うと、とてもロマンをかき立てられたのを覚えています。
アンティークの人形、ぬいぐるみにも、一体一体のストーリーがあり、それに思いをはせるのも、コレクターの楽しみなのでしょう。
自分には、アンティークの人形ぬいぐるみをコレクションする趣味はありませんが、古ければ古いほど、強烈な魅力をもった作品が多く、きっと、長い歴史を生き抜き、様々な人に大切にされてきたのでしょう(戦火も免れた運の強さもあると思います。)。
世界中で、今作られている数多くの作品のうち、100年後に残るものは、一体どれだけあるのでしょうか・・・。
作り手が気をつけたいこと(もちろん個人的意見ですが)の一つに、まぐれに注意する、ということが挙げられます。
数をこなしているうちに、たまたま実力より遥かに魅力的な作品が仕上がることがあります。見てくれた人の反応が違うので、すぐ気づきます。
神様が助けてくれたのかなあ、と思ったりします。
これを十分理解していればいいのですが、作家さんの中には、まぐれで出来上がった(と思われる)作品を非売品にし、これをどこの展示会にも持っていき、「私の本来の作品はこれです」とばかりに、目立つところに展示している方がたまにいらっしゃいます。
見ていて、若干痛いのですが、これはまだ比較的症状が軽い方で、このまぐれで出来た自分の作品を自分で模倣する方がいます。
しかも、色や形を少しだけ変えて、大量に模倣して、それを中心に売っている方も、ごくまれにいます。
多分、作っていて面白くないだろうな、楽しくないだろうな、と思いますが、お客さんの反応は、他のオリジナル作品より良いので、そこにすがっていくのでしょう。
まあ、他の作家さんの作品を模倣するよりは、遥かに良いのですが、どんどんオリジナリティが枯れていく気がします。
僕は、作家としての、自分の作品の実力は、10点作って、一番魅力がなかったものだ、と思います(ダメと判断して、中断したものは除く。)。
また、そう考えたほうが、メリットが多く、デメリットは少ないと思います。
よく、おしゃれも、たまにまぐれで素敵に着こなせても、一番冴えない着こなしの日が、その人の、おしゃれの実力というじゃないですか。それと似たようなことでしょうか。
でも、一番大切なのは、新しいモチーフや、素材、テーマにチャレンジすることが、作品作りの一番楽しい部分だ、ということです。
これを放棄してまで、出来の良かった作品を追いかけるのは、何か本末転倒のような気がします。くれぐれもまぐれに注意したいと思います。
とはいっても、たまたま、思いがけず良い作品が出来たときは、すごく嬉しいのですが。