作品の幅について

i-ppoたおか 田岡正臣 経堂 東京 テディベア
きつねくん 染色しました。

個人的意見ですが、ジャックニコルソンと高倉健の共通項というは、どんな役を演じても、本人の個性が抜け出てくるところ。

よく言えば、演技が極めて個性的、悪く言えば、ワンパターン。

アート系の作家、ハンドメイドの作家でも、作者の名が明かされていない場合、その当人の作だとすぐわかる作家と、なかなかわからない作家がいます。

作者の名を明らかにすると、「この人はこんな作品も作るのか」と思わせる人もいます。

悪く言えば、オリジナリティ、その人独自の個性が定まっていないのですが、良く言えば、意外性があり、驚きがあり、観る者を飽きさせない。

さて、どちらがいいか。

もちろん、理想的には両者のバランスが取れていることなのですが、どちらか良いか、選択せよ、といわれれば悩みます。

テクニックより、オリジナリティや個性を重視することは、このブログにも何度も書いていますが、これはまた別の話。

ピカソ(これほどの天才は、今後もそうそう現れないでしょうが。)のように時代が変わるごとに、画風が変わる画家も素晴らしいと思う反面、ルソーのように、延々と同じスタイルで描き続ける人も素晴らしい。

でも、画家の作品展に行くと、巨匠と言われる人でも、世に認められるまでは、様々なスタイルを試しています。自分のスタイルが定まっていないのですね。

以前観たドキュメンタリー映画で、贋作の画家が、数多くの世界の巨匠といわれる人の絵を本物そっくりに描きわけていました。この人は、他人のスタイルを盗むことに才能がたけていた、という訳です。

なぜこんなことを書くかというと、Instagramにアップした自分の作品(ついに150点を超えました。)をざっと眺めると、作風が定まっているようには見えないから。

 これがどうも、良いこととは思えないのです。

素材をあれこれ使い分けているから、というのも理由の一つですが、強烈な個性とオリジナリティがない、ともいえる?

「テクニックより、オリジナリティや個性が大切」と言っている当人の作品に一貫性がないのは、言動不一致では、という思いもあります。

どうも、その場その場で、感銘した他人の作風に影響を受けて、ふらふらしているような気がします(意図的にはやっていません。)。

作品の幅を広げるのは、まず自分の確固たる作風が定まってから。

 今後は、これこそ「i-ppoたおか」の作品だ、と言えるような作風を固めていきたい、と思います。