傑作と凡作

i-ppoたおか 田岡正臣 経堂 東京 テディベア 陶器
文句あっか?

 入念に計画して、時間をかけたものが良い作品になるでしょうか?

絵を描く人、造形する人、ハンドメイドで作品を作る人は、皆気づいていると思うのですが、考えに考えた挙句の作品は、佳作にはなっても、傑作にはなりにくいような気がします。

 陶芸の仲間は、「〇〇が下りてきた時」傑作が生まれる、と言います。

この〇〇には、単に「神様」であったり、「陶芸の神様」であったりします。勿論これは比喩で、集中の極みに無心で取り組んでいると、ふと、考えてもいなかった一手が入り、あるいは、手が勝手に動き、思いもしなかったプラス効果が生まれ、はて、これは自分が描いたもの、作ったものだろうか、と後になって思う瞬間があります。

手が勝手に動く、というのは比喩ではなく、本当にそう感じる瞬間があります(オカルト的な話じゃないですよ。)

滅多にないことなのですが、こういったとき、たいてい普段の自分のレベルを超えた作品が生まれます。

スポーツ心理学でいう、「ゾーン」に近い感覚でしょうか。あるいは、「フロー」の状態。

いずれにせよ、そういう状態になろうと策しても、そう簡単には、その状態になれないし、

あっという間に、去っていきます。

 経験上、この作品は、〇〇に出展するから、どうしても良い作品にしなくては、という思いが強いと、「手が勝手に動き、思いもしなかった効果が生まれる」という状況からは、確実に離れていきます。

以上のことは、僕の個人的な体験ですが、他の作り手と話をすると、表現が違っても、大体同じ経験をしているな、と思います。

勿論、それぞれの作り手のレベルに応じてのことであり、実際のところは、その作り手のマックスが、奥底から湧き出てくる、といった感じでしょうか?

 野球選手が絶好調の時、ボールが止まって見える、周囲の選手がスローモーションのようにゆっくり動いて見える、などという話を聞いたことがありますが、これも似たような話なのでしょう。

 

作る作品すべてが傑作という人は、すべてこんな状態で作っているのかな、と思ったりもしますが、もしそうなら、それが出来るのも才能の一種なのでしょうね。