創るセンスは生きるセンス

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親子?

森博嗣というミステリー作家がいます。

代表作は「すべてがFになる」ですが、最近は実質的に引退しており、趣味の鉄道模型にエネルギーを注いでいるようです。

この人の小説は読んだことがないのですが、エッセイは大好きで、よく読みます。

幾つかのエッセイは、何度も読み返すほど好きですが、愛読書のエッセイ中に「創るセンスは生きるセンス」という言葉があり、最初に出会ったとき、いたく感銘しました。

この言葉は日常的に「作る行為」が意識されていないと、なかなか理解できないと思います。

森博嗣が言う、「創る」行為は、いわゆるアートをイメージする創作作品だけではなく、自分の創意・工夫が入るモノは、すべて入るようです。

僕も、ファッションのコーディネイト、料理すること、書くこと、研究すること、楽器を演奏すること、すべて創る行為といって良いと思います(勿論、究極的には、作品として形に現れるものが、より純粋な創作活動ではあると思いますが。)

このセンスが良いと、生きるセンスが向上する、と森博嗣は言っているのです。

個人的には、生きることがより楽しくなる、という意味かな、と解釈していますが。

でも、実際は、創ることを殆ど意識していないで生活している人が大半でしょうね。

創ることを意識している人は、やはり少数派でしょう。

森博嗣は、「この世で創ることほど楽しい行為はない」と言い切っていますが、これについては自分も全く同感です。

旅行などもかなり楽しいと思いますが、これは非日常の楽しみであり、ちょっと別の楽しみかと思います。

では、作ることを意識しない人生はつまらないか、というと、そんなことはないと思います。例えば、人との交流を最大の喜びとしている人もいます。

でも、作ることを意識し、作る楽しみを、味わって生きることが出来れば、生きることがより楽しくなることは間違いない、と確信しています。

僕の後半の人生は、作ることが中心に回っていますが、本当に創る喜びを知っていてよかった、としみじみ思います。また、教室を通じて、作る楽しみが一人でも多くの人に伝わればいいな、とも思っています。