1年前、このブログで、SNSの中では、インスタグラムが一番自分に向いている、ということ、その理由について書きました。
あれから1年が経過し、最近は「いいね」が700を超える投稿が多くなりました。
作品を発表する方に、Instagramは最強のツールの一つだと思いますが、これだけ見てくれる人が増えたのは、僕なりの工夫があったからです。
今回は、それについて簡単に、ご紹介します。
(フォロワーを増やすだけなら、誰にでも簡単にできます。ソフトに巡回させ、ハッシュタグをキーワードに自動的にこちらからフォローしにいくと、一定の割合でフォローバックがあるので、確実に増えていきますが、この方法だと、実際に自分の投稿を見てくれるフォロワーが増えるわけではないので、フォロワー数に比べて、「いいね」の数が極端に少なくなります。また、フォロワーや「いいね」をお金で買うことも出来るようですね。)
今回ご紹介するのは、実質的に投稿を見てくれる人を増やす工夫であり、地道な方法です。
1 タイムラインを毎日チェックし、良いと思った投稿には、こちらから「いいね」をする。
どうも、自分の作品をアップすることに夢中になって、人の作品に共感することを忘れている人が多いのでは、と思います。コメントも時々します。最近は、コメントを頂いた場合、極力コメントバックするようになりました。
2 検索等から、自分の興味があるキーワードで他の人の投稿をみにいく。
例えば、僕の場合なら、#ハンドメイド、#テディベア、#手芸、#かわいい、#イラストなどなど(もちろん英語でも検索します。)で検索。
そこで、自分と波長が合う、気に入った投稿を見つけると、その方のページにいって、良いと思った投稿に複数の「いいね」をします。
これに対して、僕の作品を見て複数の「いいね」を返してくれた人(ここが肝心で、こういった方は、人の投稿をしっかり見ている人で、かつ僕の投稿に興味がある方。いきなりフォローだけをしてくる方は、他人の投稿に興味がない方の場合が多いようです。)に、こちらからフォローします。大抵の場合、フォローバックがあり、こういった方々は、その後も熱心に僕の投稿を見てくれる方が多いようです。
なお、普段、自分の投稿に対して、「いいね」+フォローしてくれた方は、原則フォローバックしていますが、単にフォローだけをしてきた方は、ソフトで巡回している人が大半と思われますので、フォローバックはしません。
以上が、僕の工夫ですが、定期的な投稿も大切ですよ。
沢山の方に見てもらいたい人は、試してみてください(僕のページはippoで検索してください。)
ドールワールドフェスティバル2018が、一昨日無事終了しました。
このイベントをお客として観始めてから7年、出展して3年目になりましたが、7年前と比べると、記憶にある限り、出展者も相当入れ替わっています。
以前、他のイベントのスタッフの方に聞いたら、毎年2割ほど新規参入の方がいるが、3年以内に出展を取りやめる人がとても多い、と聞いていたので、「やはり」という感じです。
今年は、陶人形(ビスクドールを除く。)を出展したのは、自分一人でしたが、3年前は他に陶器の出展者が3人ほどいました。
嬉しいことに、今年は、僕も、他の出展者に「〇〇は何処にあるのか」と尋ねられるほど、態度に余裕が出てきたようです。
2日目は、お客より、出展者の方が多いくらいでしたが、まあ自分としてはトータルで、満足のいく結果でした。
イベント出展のメリットは、作品に対するお客さんの評価がダイレクトに分かることですが、インスタである程度、作品の評価が予測できても、実際の生の会話を交わしながらお客さんの反応を伺えるのは、今後の作品作りにとても参考になり、大変有難いことです。
しかし、短期間に多くのイベントを入れると、改善の機会がないまま、次のイベントが来てしまうので、今年はイベント出展の回数を減らしました。(昨年は12回もイベントに出展し、1か月で2回出展したこともあったので、正に無改善状態で出展することも多々ありました。)
また、なんといっても、もうひとつのイベント参加のメリットは、周囲の他の作家さんと、情報交換できることです。これは、本当に助かります。
今回も、数名から、とても有難い情報を頂き、それだけでも出展した価値があったと思います。
やはり、委託販売や、ネット販売だけでは、いろいろな意味でダメだな、と思います。
自分自身も、他の作家さんに対して、役立つ情報の提供者でありたいな、と思っていますが、そのためには、日々の様々な方面からの情報収集と勉強が欠かせませんね。
いよいよ今週末の2日間は、3回目のドールワールドフェスティバルです。
展示用の棚も少し変えて、展示作品も絞っていこうか、と思っています。
今回は、久々に陶器の作品を出すため、宅配便で昨日梱包して送りました(手持ちはさすがに、重たくて無理です。)。陶器以外は手持ちです。
展示会前の一週間は、最初のころは、ワクワクだけだった(その頃書いたブログを読むと、ひらすらワクワクしていたようです。)のですが、近ごろ、ワクワク半分、ザワザワ半分でどうも落ち着きません。
ワクワクは、新作がどれだけお客さんに受け入れられるだろうか、といった気持からくる楽しみ(インスタの投稿である程度予測がつくようになったのが、ワクワクが減った原因かも?)なのですが、ザワザワというのはちょっと説明が必要ですね。
他の人はどうかわかりませんが、この自分に起こるザワザワ感というのは、何か重大なことを忘れてはいないだろうか、という漠然とした不安が半分、期待通りの結果になるかドキドキしている、とうのが半分、といったところでしょうか。
完全に説明しきれていないと思いますが、どうも変な欲がわいてきたのかも。
学生時代の期末テスト前夜に似た気持ちといえばいいでしょうか。
展示会に向けての作品つくりは、3週間前から5日前あたりまでがピークで、どうも直前の3~4日間は、何もしないまま時が経過します。
本当は、もっと制作に力を入れれば、展示会に間に合うものもあるのでしょうが、ギリギリ直前まで作っている、ということは、まずありません。
焦って作るのはかえって良くない、と思うのですが、普段通りの、自然体で制作したいのです。
大体、教室の案内チラシを印刷したり、本を読んだり(なぜか読書熱心になる。)、急いで観る必要もないDVDを観たり、何をしたのかはっきりしないままに、3~4日間が過ぎています。
今度こそ、ペースを乱さず、通常ベースで、平常心で臨もう、と思っているですが、果たしてどうなるか。以前のようなワクワクオンリーの展示会にしたい、と思っています。
(このブログを書こうと思っていたせいか、今日一日はペースを乱すことなく、普通に過ごせました・・・。)
今回は自分の個展での失敗談をお話しします。
先日、以前通っていた某教室(なんの教室かは敢えて伏せます。)の先生から、作品展開催のお知らせハガキを頂きました。
久々にお会いし、じっくりとお話ししたいと思い、イソイソと出かけました。
先生はお元気そうでしたが、先客と話し込んでいたので、暫く離れて作品を見ていました。
気がつくと先客が帰っていて、先生が近づいてきて、「お久しぶりです」と話しかけてくれました。二言三言話した直後、新たにお客さんが来て、先生は「ちょっとごめんなさい」と言って、その客の方へ行きました。とても大事なお客さんだったのでしょう。
そのお客さんが帰ったら、じっくりと話そうと思い、しばらく絵を見るふりをして待っていましたが、相当な時間の経過後、新たなお客さんが来て、先生はそのお客さんのところに行きましたので、さすがに諦めて、先生にお別れのご挨拶をして帰りました。
数年前に開催された作品展の時は、20~30分くらいお話が出来たのに、と思いながら、トボトボと帰りました。
帰り道、突然、脳裏に浮かんだのは、2年半前に、自分が個展を開催した時のことです。
「あっ、自分はもっとヒドいことをしていた。」と気づいたのです。
4日間の開催期間中、お客さんが少なくて、暇なときもあったのですが、土日のピーク時は、一度に4人位集中的にお客さんが来たことがありました。
その時、何名かの知人・友人を、殆ど会話も出来ないで、返してしまったのです。
しかも、中には、かなり遠方から来た人もいたというのに・・・。
僕は、自分が作品展に招かれたとき、主催者と長話するのは、新しいお客さんが待っていない時だけにしています。ところが、個展や作品展に行き慣れていない人の中には、久しぶりに会えた主催者と話したいがために、周囲が見えていない人も、結構いるのです。
自分も、あの人とまだ話していないのに、と思いつつ、中々目の前の人の話を遮って、次のお客さんにところに行けなかったことを思い出しました。
先生が、話を切り上げることが出来なかったのもやむを得ないと思うとともに、トボトボと帰った自分の気持ちを胸に刻み、次に個展を開催した時は、目の前の人との会話を遮る勇気を持って、観に来て頂いたすべての人と充分な会話ができるようにしよう、と思った次第です。
人間や動物をモチーフにして作品を制作する場合、出来る限り本物に近づけるか、それは二の次にして、作り手の個性を発揮させる方向で制作するか、大きく、二つの方向性がある、と思います。
蝋人形が、人形をモチーフにする場合、リアル志向の最たるもので、少し離れたところから見れば、本当にそこに人間がいるかのような臨場感があります。
勿論、リアル志向と、個性志向が全く相いれない訳ではなく、リアルを目指しつつ、個性も発揮する、という作り手もいます。
僕自身は、例えば、キツネをモチーフにする場合、リアルであるかどうかは二の次で、オリジナリティがあれば、後はそれが第三者に「キツネ」であることが分かれば十分、それ以上意図的に本物に近づける必要はなし、と思っています(勿論、本物に近づけるのが大変難しく、時間がかかることも理由のひとつですが。)。
さすがに、「キツネ」を作ったつもりが、殆どの人に「ネコ」に見えるなら、もうモチーフとしてキツネを選んだ意味さえなくなる、と思います。
但し、キツネに見えようが見えまいが、作品の魅力自体を損なうものではない、と思っています。
現に、何のモチーフか、どの動物かわからない(架空の動物かも)作風の作家でも、素晴らしい作品を作る人がいます。
ところが、一般的には、普段アート作品やハンドメイド作品に興味がない人ほど、リアル志向の作品を「凄い」「上手い」と評価します。
勿論、アート好き、ハンドメイド好きにも、リアルな作品が好きな人もいるのですが、僕の知る限り、深みにはまるほど、リアルより個性を尊重する傾向にあるように思えます。
リアルな作品つくりは、モチーフを現実に近づけることに大変な努力と技量が必要で、そのスタンスを否定するつもりはありませんが、それが最終的に自分の個性を発揮するために必要な「リアル」でなければ、その人が作った証がない、と思うのですがどうでしょう。
限りなくリアルに近づけば、皆同じような作品になると思うのですが・・・・。