絵本が好きです。MOEという絵本をテーマにした雑誌もよく読みます。
大人が観ても読んでも楽しめる絵本を発見しては、宝物のように慈しんでいます。
今回は、その中でも、佐野洋子の有名な絵本「100万回生きた猫」、大人が何度でも読み返えして、読むたびに違う印象を受ける、愛らしくも切ない絵本を紹介します。(このBlogを読む方の殆どが知っていると思いますが。)
絵も文章も、共に秀逸で、どちらが欠けても成り立たない、もう日本ではこれ以上の絵本は出ないかな、と思われる名作ですよね。
読んだことがない方のために、ごくごく簡単にストーリーを書きますと、
「猫は、色々な人の飼い猫となり、100万回生まれかわっては、様々な飼い主のもとで死んでゆく。飼い主は猫の死を悲しむが、猫は飼い主のことが嫌いだからまったく悲しまなかった。あるとき猫は野良猫となったが、自分に興味を示さなかった白猫の気を引こうとするうちに、プロポーズをし、時がたつと、白猫はたくさん子供を産み、年老いてゆき、やがて猫の隣で静かに動かなくなる。その時猫は初めて悲しんだ。猫は100万回も泣き続け、ある日泣き止んだ。そして、とうとう白猫の隣で動かなくなり、決して生き返ることはなかった。」
男女の愛をテーマにした絵本だと言えますが、もっと普遍的な愛をテーマにしているようにも読めます。幸福とはなにか、について書いているようにも読めます。輪廻転生と解脱を描いているようにも読めます。
特筆すべきことは、絵自体が文章で書いている以上のことを語りかけてくることでしょう。作者が敢えて文章にしなかったことを絵に語らせる。
これが絵本の醍醐味といえるのですが、まさにこの点においても「100万回生きた猫」は傑作と言えます。
もし、読んだことがない方がいらっしゃったら、どこの図書館でも置いていますので、是非ご一読ください。
この本を読むたびに、不遜にも絵本を描いてみたいな、と思います。
好きな画家は、巨匠より、無名のイラストレーターだ、と以前Blogにも書きましたが、今回は、大好きな画家のひとり、アメリカの現代画家である、Mark Ryden(マークライデン)について、書いてみます。このBlogを書いている現在で、54歳ですから、僕より若い画家です。この方は決して無名ではなく、アメリカでは相当な人気作家です。
洋楽ファンであれば、マイケルジャクソンのCDジャケットを描いたこともあるので、「ああ、あの絵を描いた人か」と思うでしょうが、日本での一般的な認知度はとても低いと思います。一年に10回以上美術館に足を運ぶような絵画好きの人も、知らない場合があります(以前にも書きましたが、日本人は巨匠好きですから。)。
しかし、紀伊国屋の美術書コーナーでは、画集が平積みされる程の人気作家でもあります。
一部の、ファンタスティックなイラストやポップな現代絵画が好きな人だけに知られている、といったところでしょうか。
レデイガガが、肉の水着を披露したことがありますが、おそらく着想はライデンからでしょう。ライデンの画集の表紙に、肉のドレスを着た女の子のものがあります。
イラストの世界では、「これはマークライデン的な絵だ」といってもいいくらい、追従者は沢山います。
それだけ、絵に魅力とパワーがある、ということでしょうか。
とても緻密に細かいところまで丁寧に描き上げているですが、全くリアリティのない、不思議な世界観を持っています。
「ふしぎカワイイ」「不気味カワイイ」という言葉がピッタリくるようで、自分自身も、作品創りで、かなり影響を受けているようです。
可愛いけれど、少し残酷な絵もあり、残念ながら堂々と子供に見せられない絵もあります。
奥さんのマリオンペックも同様な不思議な絵を描きますが、この人の絵も好きです。
似た傾向の人気作家にレイシーザーがいますが、この人はもっとクールで、「不気味かっこいい」といった感じでしょうか、レイシーザーも好きですが、僕は、この二人なら、マークライデンの世界を選びます。
興味のある方は、是非Googleで検索してみてください。
イベントなどに参加後、今回のイベントは成功だったか、失敗だったか、ふと考える時があります。
これを考えるときは、大体において、当初想像していた結果が得られない時です。
つまり、失敗だったかも、と漠然と思っている時。
どうやら自分は、成功を当たり前とカウントし、小さな失敗も、大きく捉える傾向があるからではないか、と思っています。余程の大成功でないと、成功と考えないのかな、と思ったりします。
でも、このスタンスでいけば、人生は失敗だらけとなります。
昨年は、個展も含め8回、展示会、イベントに出展しましたが、どの展示会も失敗と捉えれば、幾らでもその要素はあり、ある意味、1月の個展を除けば、すべて失敗だった、と言えなくもない。
そう考えれば、落ち込むことも多くなります。
でも、あるときから考え方が変わり、昨年の秋頃からでしょうか、今の自分の境遇は、もうそれ自体が成功(好きなことをやって、応援してくれる人もいる)、と捉えることもできるのではないか、と考えるようになったのです。
世の中には、色々な事情により、好きなことに手をつけられないでいる、いや好きな事さえわからない人も多い、その人たちと比べれば、自分は、すごく成功している、と厚かましく考えることもできないこともない。
ここまで考えたら、実は、成功・失敗も、やったことを、自分がどう評価するか、にかかっているようだと気づいたのです。
まあ、自己満足といえば、そのとおりですが、「成功したかどうか、失敗したかどうかは自分で決めていいのだ」、と思ったときからずいぶん楽になったことを覚えています。
さらに、成功の度合い(大成功か、ちょっとした成功か)、失敗の度合いさえ自分で決めていいのだ、と思うことにしました。
あまり有頂天にならないことを前提に、できるだけ、多方面から検討し、成功したと捉える方がいい、成功と思えないものは、成功に至る途中経過にあるのだ、と考えよう、と思うことにしました。
それでも、失敗としか思えないこともありますが、以前に比べれば、連続で失敗したと捉え落ち込む、ということは激減したようです。
「単なる自己満足じゃないか」と言われそうですが、成功と思う方が、次へのモチベーションにつながりますので、出来る限り、得する考え方を選んでいこうとしています。
昨日、僕の陶人形の恩師、みやこしたつこ先生の「好きを、楽しむ-手仕事」二人展に行ってきました。
2017年5月11日~14日までの開催で、座間市緑ヶ丘1-1-2のハーモニーホール座間1Fギャラリーで開催されています。
二人展というのは、トールペインティングの田邊隆代さんとの共同作品展だからです。
宮腰先生は、僕が人形を作るきっかけを作ってくださった方です。
経堂のギャラリーで、先生が5年前に個展を開催されていたところ、僕がたまたま通りかかって個展を観て、「探していたのはこれだ」と思ったからです。
この話は、昨年の7月のブログでも少し触れましたが、陶芸は以前からやりたい、と思っていたのですが、その頃は、小田急線豪徳寺の陶芸教室に通っており、器を作っていました。
器を作りつつも、陶器で動物を創りたい、という思いがありました。
宮腰先生に、陶人形の制作を教えてください、と直談判しました。幸い、当時世田谷の太子堂で(動物がメインの)陶人形の教室をされていて、豪徳寺の教室を止めて、1年間、先生の元で陶人形の制作を学んだ経緯があります。
3年前に横浜で作品展があり、その時は、僕も作品を出させてもらいました。
相当広いスペース(80㎡位?)のギャラリーに、宮腰先生の作品の集大成が並んでおり、懐かしさを感じると共に、傾向の違う新作も多く作られており、新分野を切り開らかれているな、と思いました。
今回、作品を久しぶりに拝見して、やはり今の自分の作品は、気がつかないうちに、沢山の影響を受けていたのだな、ということに気づかされました。
教室の生徒さんの作品も並んでおり、先生の影響下にある方と、
また、この頃疎かになっていた、陶器の作品つくりも再開せねば、と思いました。
先生より、「早く窯を買いなさい」と言われ(実は会うたびに言われています。)、いよいよその時期に来ているかな、と思いました。
当教室のメンバーにも陶人形を制作したい方がいるので、今年中には決断しようか、と思っています(現在陶人形のワークショップは、マダン陶房がお休みの日に間借りしていますので、かなり制限があります。)。
恩師に久々に再開し、じっくりとお話しさせていただき、色々と勇気つけられたり、新たな決心を促されたりと、実り多い1日でした。
昨日、ロシア・東欧の人形作家の祭典「FANTANIMA2017」の会場で、ロシアの人形作家マヤ・ホロヴァさんのワークショップに参加し、ロシア伝統の人形制作について、教わってきました。
午前午後と別々のワークショップ二つに参加したので、フルに1日のコースでした。
まず午前中が、「コルク蓋のブローチ人形」
コルクの蓋を顔にして、ブローチになった人形を作りました。
これは、はっきり舐めていました。簡単に出来るだろう、と思っていたのですが、一緒に参加された方がプロのぬいぐるみ作家さんで、その手早さに焦りまくりました。
今のところ秘密にしておきますが、ロシア独特の手法で、制作し、なるほどと感心させられた箇所が沢山ありました。参加して本当に良かったですが、制限時間ギリギリまでかかってやっと仕上げることが出来した。
午後の部は、「綿の動物人形」。
なんと、綿を固めて人形を作るのです。綿は普通の真綿です。
一体どうして作るのだろうかと不思議に思っていたのですが、簡単に説明すると、針金に棉飴のように、接着剤で濡らした綿を巻いていきます。
何度もドライヤーで乾かしながら、少しずつ型とっていき、耳や鼻などは、別に接着剤で固めた綿をくっつけます。
普段、人形などの制作活動をしていないと、この作業は初めての人には無理かな、と思いました。文章でかいても、さっぱりわからないでしょうが、こちらもロシア伝統の手法で、80年の歴史があるとのこと。参加者5人全員が人形制作をされる方々で、終わったあと、一部の方と名刺交換しました。
これら二つの手法は、もう少し自分のものになるまで作って、いつか自分のワークショップでもやってみたいな、と思っています(他の参加者もそう思ったかも。)。
今回のFANTANIMAも、あと二日で終わりますが、海外作家の発想力には、ほとほと関心します。
海外作家の作品を観て、ふたつの感情が湧いてきます。まず、自分との歴然とした差に漠然とした不安を感じますが、あらゆる方向性や素材で想像力を発揮するチャンス、可能性があることもわかり、ワクワクされられます。
まあ、有り難いことに、ワクワクの方が大きいので、観終わった後は、幸せな気持ちで満たされます。